さいわいな人たち

1/3(金)(いつにもまして)わたしにしか分からない日記

懐かしい駅

夜、うんと暖かい格好をして家を出る。普段乗らない電車に乗って待ち合わせ場所のローカルな駅に到着する。改札を出ると古墳への案内板が目に入る。この駅には何年か前に一度だけ来たことがあると思い出す。当時の恋人と古墳周辺を散策して大きな公園で写真を撮ったり野良猫を見たりしたのだった。甘美な情景が脳内をよぎる。案内板から目を離して反対方向を見やるとMさんが縁石に乗っかってタバコを吸っている。うおっ、何らかのフラッシュバック現象。一瞬意識が遠のく感じがする。

初詣

Mさんとは昨年末以来だったけれど新年の挨拶はしなかった気がする。マップを頼りに歩き出す。駅周辺にも途中の道にもまったく人がおらず物寂しい感じがする。何度か道を間違えながらも百舌鳥八幡宮にたどり着く。20時前の境内は閑散としている。様々の屋台を楽しむ算段だったがほとんどの店は撤収してしまっていてベビーカステラくらいしか売っていない。屋台は諦めてただお参りすることにする。50円を投げてなんとなくの作法で拝む。目を瞑っても特に思い浮かぶものは無い。おみくじを引くとMさんもわたしも大吉だった。運勢欄の文言を書き留めておく(Google Lensはとても便利)。

夢の楽しさが醒る時はかない淋しさを覚える
努力と精進が止む時怠け癖がつく
心機一転創意と工夫の日々が続くと夢の浮橋の楽しみ続き
あらゆる困難に打ち勝ち自ずと大運開け行く

早々に神社を後にして、やたらと細くて暗い川沿いの道を通って地下鉄の駅に到着する。

10枚のメモ

電車を待つ間にMさんが近況報告代わりに送ってよこした10枚のメモスクショを読む。それは一種の壮大なクロニクルだった。つい一週間前に聞いた状況は激変しており人生のダイナミックさが表現されている。登場人物は当然わたしの知らない人びとで(なにしろMさんとすら会うのは3回目くらいなのだ)、また出来事が端的に編集されているのでよくできた物語のように読める。最後まで読んだあたりでホームに電車が滑り込んでくる。車内でポジティブな感想を伝える。深堀りしたい気持ちがあるのでどこかで飲むことにする。

公園で酒を飲む

天王寺近辺をうろついてみるも適切な店は見当たらず、Mさんの提案で寂れた駅前の公園で飲むことにする。酒は近くのセブンイレブンで調達できた。

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遠くにハルカスを望む良いロケーションの公園だった。この季節に屋外での飲酒は無謀なようにも思えたがマフラーをすれば案外問題無さそうだった。公園で人と飲むのは久しぶりのことだが改めて良いものだと思った。ここ、夜の公園にあるのは簡素なベンチと缶の酒と少しのつまみだけで、自ずと意識は会話に集中するのだった。会話といってもわたしは専ら相槌をうつだけで、Mさんの口から語られる物語に耳を傾けていた。

歩きながらでも飲む

二缶ほど飲んでそろそろ体も冷えてきたので立ち上がって歩くことにする。コンビニに寄ってトイレを借りて新しく弱い酒を買う。飲みながら歩く。話の内容は時に脱線し循環し、ただ一貫してポジティブな雰囲気で、Mさんの前途に光明が指しているような感じがした。それにしてもMさんの語る話は登場人物が多い。読者たるわたしからすると群像劇めいていて面白い。そうこうするうちに自宅に到着する。

さいわいな人たち

話に感化されたのかなんだか感傷的な気分になって、岡崎祥久の首鳴り姫を半ば強引にMさんに押し付けた。妙なことをしてしまったけれど、この贈与でわたしが何を伝えたかったかというと、それはおそらく「あなたたちはさいわいな人たちだ」ということだ。公然と祝福されるにふさわしい人たちなのだと。実際彼らの人となりは知らないし、Mさんが今現在何かに苛まれているとも思わないけれど、このクロニクルが大団円を迎えんことを願っていると、そういうことを伝えたいと思ったのだった(たぶん)。

いち読者として

「奔放さとはどういう意味か」という問いがあり、「見ていておもしろいさま」と答えた気がする(Mさんは度々「奔放だ」と評されるらしい)。後から考えたら、やはりこれは読者あるいは傍観者としての答えなのだった。この物語は続きが気になりすぎる。今後もちょくちょく近況を聞かせてくれると良いと思う。